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"SWEEPING"

2013年9月7日(土)19:30 space SYMBIOSIS
佐々木秀明(美術家)×朝地信介(日本画家)×新里明士(陶芸家)

更新日 / 2013.9.21


右から、朝地信介さん、新里明士さん、佐々木秀明さん


佐々木さんの「雫を聴く」という作品ですが、本来は暗い空間の中で展示することを前提とした作品です。前回のモエレ沼公園にある巨大の雪倉庫での個展は、この空間とは非常に対照的で、真っ暗な窓のない大きな空間に、ほのかな光とポタっという音が響き渡る、光と闇、雫の音から生まれる空間でした。 今回は、日中は日の光がたっぷりと入る真っ白な空間で、全く環境が異なると思いますが、制作するうえで何か意識に違いはありましたか。

佐々木

やはり、明るい空間で展示すると装置がはっきりと見えるので、普段以上に、装置をモノとして綺麗に見せたいという意識が強かったように思います。 また、この空間に気配のようなものを見せることができないかも考え、夕暮れから夜にかけて、光の表情や空気の変化を楽しむための装置としての働き方もできないかと考えました。

今回は、日本画と陶芸、ジャンルの異なる作品と近い距離で一緒に展示していますが、全く異なるジャンルの作品と組み合わせて展示をすると、特にインスタレーション作品は、周りの環境によって、あるいは、他の作品との接点によって見え方が変わると思います。佐々木さんの目にはどのように映っていますか。

佐々木

音楽や舞踏の人たちが自分の作品の前でパフォーマンスをすると、一瞬にしてその場の空気が変わり、別の世界に引き込まれていくことがあります。今回の展示は、そういう変化とはまた違う響き方だと思いますが、 先日読んだ本の中で、ものを比較する時に、共通点を見出すのが得意の人と、差違を見出すのが得意の人がいるということが書かれていました。異質な日本画と陶芸と一緒に並ぶことで、何か共通点があって企画されたと思いますし、共通の何かがあるのではないかと考えています。

朝地さんや新里さんも、絵画展や陶芸展ではなく、今回のような形で展示をすることはあまりないと思いますが、実際に展示をしてみて、ご自身の作品はどのように映っていますか。

朝地

自身の作品というよりも、常に空間を意識しながら制作しています。展覧会を開催するうえで一番大切にしていることは、自身の作品以上に、どういう空間として成り立つかです。今回の展示についても、そのバランスを考えながら制作しました。

新里

陶芸展は、観る人が限定されます。今回の展示については、上の階に来店される人や、日本画やインスタレーションの作品に興味があって訪れる人がいて、観賞者に動きがあってとても良いと思います。表現活動としてはそれほど違いがないと思うので、一つのバイアスだけで観ずに、作品を見据えることはやってみたいことでした。そういう意味でとても良い機会だったと思います。

朝地さんの作品についてお聞きしますが、人の五感では認識できない領域、微小で静かな世界の形をイメージして描いているということですが、その魅力を教えてください。

朝地

子供の頃の育った環境から、小さな生物や落ちているゴミなどと近い距離で接し、小さな世界に興味を持っていた気がします。顕微鏡などで見るともっと小さな世界が見えるのかもしれませんが、自分の力で小さな世界を広げていき、見えない部分も考えながら描き、描いているときに自分のイメージも反映され、リアルに描写したものとは違う自分の作品になってくれたらと思い、描いています。微生物や粒子、分子などの世界も超えて、小さな世界に入り込み、描いてくと、最終的に自分のイメージしたものだけが残ります。その描いた形に、それぞれの性格を与え、このような作品になっています。

会場で聞かれることが多い質問ですが、表面に生まれている凹凸のある表現は、どのようにつくられているのでしょうか。

朝地

日本画の敷居をどうやって下げることができるかを考えて制作しています。 大学で幼児教育の教員をやっており、幼稚園や保育園の先生を目指す学生に図工を教えていますが、モノ作りや絵を描くことに苦手意識を持っている学生が多いように思います。親しみを持って接してもらうために、どうしたら良いかといつも考えています。 そこで、特別な人が、高い特別な材料で制作しているのではなく、どこにでも手に入る材料で制作していることを伝える意味も含めて、膠や岩絵の具などの日本画の画材の他、木工ボンドやダンボ-ルなども使用して制作しています。

また、日本は小さなものをキャラクター化することを得意としていると思います。例えば、鳥獣戯画のように、動物を擬人化し、キャラクター化しているものや、漫画の世界にも表れています。小さな粒子などの世界も、目鼻口はつけなくても、どんな動きをするのかを考え、そこに親しみをもってもらえたら嬉しく思います。

新里さんの作品についてお聞きしますが、「光器」の表現が生まれた背景を教えてください。

新里

発想の源は、器の持つ緊張感のあるフォルムが好きで、実用的なものではなく、フォルムそのものを見せたいと思い制作しました。ただ、日本では、やはり器は実用的な要素を求められることもあるので、穴をたくさん空けると使えない器になり、その穴を埋めることによって“境目”のような表現をしたくて、作り始めた作品です。光を透すというのは、副産物として後からついてきたことで、使えるのか使えないのか、その間の表現として制作したのが原点です。

今回出展いただいた作品も、“光器”や“光小碗”など、タイトルに光が使われています。また、先月まで開催されていた東京での個展のタイトルも、「ルミネッセンス(発光)」を使われていました。 この作品を制作され始めたときから光を意識して、制作されているのでしょうか。

新里

最初にタイトルを付ける時から、“光器”を使用し、光を意識して制作しています。個展のタイトルに使用した「ルミネッセンス」は、ライトの光よりも青白い光を指しています。朝方に射す光の中で作品を観るのが好きなので、最近は、イメージに近い青白い光を指す「ルミネッセンス」というタイトルを使っています。 スポットの光は、基本的に動かない光なので、窓際や自然光が入る場所のほうが、光の色に変化があって面白いと思います。

佐々木さんが、光に興味を持たれたのは、どのようなことがきっかけでしたか。

佐々木

住宅関係の仕事をしていたときに、照明器具によって光が増すことなどを体験し、光に興味を持つきっかけになりました。また、写真が好きだったことも影響していると思います。この作品の装置は、カメラと同じ原理で、光源があり、レンズがあって、フィルムが間に入らないことで、レンズの歪みを見せている作品です。 「雫を聴く」という作品は、光に興味を持って制作しただけではなく、いくつかの経験が重なって生まれた作品だと思います。例えば、“水”について言えば、幼少期に過ごした東京で、井戸水をポンプで組み上げた日常的な経験など、様々な体験が自分の中で一つの形になっているのだと思います。

「雫を聴く」という作品は、20年近く制作されている作品ですが、その月日の中で、何か意識に変化はありましたか。

佐々木

変化は起きていると思いますが、この作品でまだ何かできそうな気がするので、続けているのだと思います。

新里さんに出展いただいた作品ですが、香炉や盃など用途が明らかな作品と、大きなオブジェのような“光器”がありますが、制作するうえで意識の違いはありますか。

新里

意識に違いはあります。盃については、“光器”作品を小さくしたものなので、同じような意識で制作していますが、香炉については、自分の技法を日本文化に合わせた時に、どのように見えるかを考え、逆の意識で制作しています。イメージから出るものと、技法から出るものと、終着点も全く違う場所にあるものだと思います。

朝地さんの作品は、光そのものをテーマにした作品ではありませんが、昼、夕方、夜と表情が変化していきます。日本画の作品にも光は反映するものでしょうか。

朝地

日本画は、建物中の襖などに描かれ、障子などを通した光のある空間の中で見るものなので、当然光を意識していたものだと思います。画材の特性としても、油絵などと比べて、岩絵の具などは光が当たってもテカらないマットな表情を出すので、光によってどのような表情が生まれるのかは楽しみです。



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