Artist talk
Artist Talk
"AQUA"
2015年5月16日(土)
space SYMBIOSIS
久野志乃(画家)× 福本双紅(陶芸家)
更新日 / 2015.6.18
右から、福本双紅さん(陶芸家)、久野志乃さん(画家)
福本さんの「月影」という作品ですが、本展を企画する際に、ぜひこの作品を展示させていただきたいと思いました。器が重なり合い、釉薬による美しい色彩と、周りの空気を包み込む佇まいに、何か景色を眺めているような感覚を覚え、長く見つめていたいと思う作品です。何かこの作品が生まれるきっかけになるようなことはありましたか。
福本
きっかけというのはよく覚えていません。ただ、何をイメージして作っているのかとよく聞かれることがありますが、何を表現するかというより、“いかに表現するか”が、自分にとって大切なことです。タイトルを付けるときにも、作品が出来上がってから、作品を観た側として付けています。決して「月影」を表そうと思って制作しているのではなく、そこがとても大切にしていることです。
「月影」は、白い磁器と青い釉薬で制作したものですが、実は「釉薬」はあまり好きではありませんでした。土そのものを良いと思って制作していて、釉薬のテカテカしている、土をコーティングしてしまっているような感じが苦手でした。そこで、釉薬を接着材のような、底に溜めるようなものとして扱っています。 「月影」は、釉着をしています。釉着とは、窯の中で釉薬が溶けて接着するということですが、技法でも何でもなく、窯の中で釉薬同士がくっ付いてしまう、どちらかというと失敗を表す言葉です。 土でギュっと固めてくっ付けるというより、釉着は窯の中で釉薬がユラユラと動き、柔らかくなった土がそれぞれ動いて、接着します。窯の様々な事情で作品が揺らぎ、歪ませたのではなく、自然に歪み、それによって自然な美しいラインが生まれ、納得できる形になるような気がします。私の企みと自然の摂理の駆け引きでモノを作っている気がして、やることと、成ることの関係性で、戦うときもあれば、もらうようなこともある、良い接点でモノを作ることができたらと思い、釉着に面白さを感じて、この方法で制作しています。
「月影」は、3つの器を重ねていて、青い釉薬を塗る面が4面ありますが、3色にこだわって塗っています。隙間に釉薬を塗ることで、あまり好きではなかった釉薬の鏡面が映り合い、響き合う青になり、私が塗った色以上に美しくなります。
「月影」の作品も含め、福本さんが制作する作品には、美しい青や緑の釉薬が使われていますが、青色を選んでいる理由はありますか。
福本
学生の頃から青色を好んで選んでいます。実は、母が藍染作家なので、周囲からはその影響なのではないかとよく言われますが、「違いますよ」と言いながら、「そうなのかな」と思うこともあります。
青色は、空や海など主張があまりない色だと思います。じーっと見ていても、何も言ってこないような色、どこを見ているのか分からなくなるような色で、なぜ選んでいるのかは・・・、自分でも分からないですね。
久野さんの作品は、以前から様々な場所で拝見してきましたが、作品の色彩がどんどん変化しているように感じます。作品が変化していくなか、いつも印象的な青色がどこかに使われていて、水辺のようなエメラルドグリーンや、紺碧の空のような深いブルーが使われていることもあり、青色が印象的に記憶されています。
今回の作品は、水と記憶をテーマに制作されたとお聞きしました。どのような思いで制作されたか教えていただけますか?
久野
個人的な記憶をテーマに扱っていて、そのテーマの性質が水とリンクするところがあります。記憶とは、一枚の静止画のように固定されたものではなく、時が経つにつれて、あるいは誰かに話すことによって変化していくものなのではないかと思っています。水はコップの中にも入るし、海にもなりうる、その水の性質と、作品のテーマにしている“記憶”と合っていると感じています。シンボル的な要素として、ほとんどの作品に青色を使っているように思います。
月影、月の霜、かすみ、うすらひ(薄氷)など、福本さんの作品は、自然の現象をタイトルにした作品が多いように思います。作品を制作した後、福本さんの目に映る姿をタイトルに付けられているのでしょうか。
福本
自然の現象をタイトルに使うきっかけになった作品は、うすらひ(薄氷)という作品でした。こういう風に見てほしいということではなく、作品から受ける印象や景色であってほしいと思っています。タイトルは、そこにギュッと意識がいってしまいがちですが、景色ぐらいの一つの印象として捉えてほしいと思い、付けています。“うすらひ(薄氷)”と聞いて、それぞれが抱く“うすらひ”の景色は違うと思います。
和語や古語など、日本語の裏に隠れている世界を見ようとする、そこが日本の美しいところだと感じているので、できるだけ日本の言葉で、その感覚が備わってくれたら良いなと思って自然の現象をタイトルに付けています。
久野さんの作品のタイトルも、とても印象的な言葉だと感じています。本展の出品作品「水の上の光原」「さかさつららのふしぎ」「山の器、朝を待つ水」なども、詩的で、言葉を大切にされている方なのではないかなと感じました。どのような思いで、作品にタイトルを付けられていますか
久野
私も作品のタイトルは、福本さんと同じで、絵を描き終えてから付けることが多いです。言葉からイメージをもらうことが沢山あり、スケッチするような、素描のような感覚で言葉を選んでいます。
「言葉の根幹は沈黙である。」ということをどこかで読んだことがあり、沈黙にまさるものはないのかと考えたこともありました。Untitled で作品を発表されている方もいらっしゃいますよね。 それでも、私は、タイトルを仮定するというか、スケッチをしていく感じで言葉を付けることを選んでいます。
旅先では、私は絵描きですが、絵よりも言葉をスケッチすることが多いです。現地で見つけた良い言葉をメモしておいて、そのようなメモからタイトルの言葉を選ぶこともあります。
福本さんは、個展のほか、陶芸を中心としたグループ展に多く出品されていますが、今回のように、全く別のジャンルの作品と同じ空間を共有し、展示をする機会は少ないと思います。特に福本さんのインスタレーションのような展示は、作品を取り囲む環境によって空気が変わり、作品の見え方にも影響すると思いますが、今回の空間とご自身の作品はどのように映っていますか。
福本
陶芸を作っていますが、空気を作っているという感覚で制作しています。場所によって、見る人によって作品は違って見えると思います。陶器は、特に使うものなので、使う人によって“しつらえ”は異なります。この人だったらどんな風に使うのか、自分が想像できないような使い方をされていたり、置き方、場所、取り合わせによっても、作品の見え方は大きく変わります。 今回の展示も、青をテーマに、面白く、美しく展示されていると思います。
久野さんは、絵画展だけではなく、映像や写真、様々なジャンルの作品と空間を共有する展覧会に多く出品されています。陶芸の作品との展示は初めてとお聞きしましたが、他のジャンルの作品と一緒に展示をすることで、ご自身の作品はどのように映っていますか。
久野
今までのグループ展は、写真や映像、絵画の方とビジョンを一緒に作ることが多かったです。陶芸の作品と初めて一緒に展示をしてみて、福本さんの作品の中で、特に「月の霜」という稜線のような山並みを見ているような作品が好きですが、自分の作品と合っている感じがして、とても嬉しく思いました。
久野さんは、最近は、スペイン、ポーランド、台湾と、海外で作品を発表する機会も増えていると思います。2007年に台湾にレジデンスで滞在した後に拝見した作品は、色使いも大きく変わったように感じました。海外でのレジデンスや展覧会の機会は、その後の制作に対する思いに影響しますか。
久野
海外での反応は、作品を観る人、鑑賞者の感覚が違います。よく言われるのが、北欧の作家だと思ったと言われます。北海道ではそのように言われたことがなかったので、北海道の地域性や風土について、立ち帰って考えるきっかけになりました。これからやっていきたいテーマもそこに関係していて、外に出たことによって、自己について改めて考えさせてもらえたと思っています。
福本さんも、海外で発表をされていますが、久野さんが話されたような鑑賞者の視点の違いのようなものを感じられたことはありますか。
福本
海外の人にとって、日本の陶器は“白”、“青”、“呉須”という印象があるようです。日本的でありながら現代的な作品だと言われたことがあります。海外に出ると、向こうの人になってしまうか、Made in JAPANと思うかの二つに分かれると言われていますが、私は後者です。 海外で観たものそのものを表現しようとは決して思いませんが、その時に感じた感動が、自分に留まり、自身を通して作品として出ていくような感覚です。自分のことばかりよく見えてくるので困りますが、外にはどんどん出たほうが良いと思います。