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"ACROSS"

2013年4月6日(土)16:00  MORIHICO Plantation
艾沢詳子(美術家)×国松希根太(彫刻家)×服部真紀子(陶芸家)

更新日 / 2013.4.19


右から、艾沢詳子さん、国松希根太さん、服部真紀子さん


服部さんに以前インタビューをさせていただいたときに、この作品の器型に注目して作品を観てほしいとお話されていたのが印象的でした。使えるものという意味の器ではなく、内側からせりあがって器という形ができ、外側が形成されるという「概念としての器」を意識して制作されているとお話されていました。 作品を上から覗いてみると、内側までびっしりと表面が埋め尽くされている表現に感激した方も多いのではないかと思いますが、服部さんの作品の特徴でもある表面を覆い尽くす表現は、どのようなことがきっかけで生まれたのでしょうか。

服部

きっかけになったのは、大学時代の「土の表情を探る」という課題でした。100通りの土の表情を制作していくなかで、同じような形を貼り付けて表面を埋め尽くすことで、土の表情に魅力を感じました。その埋め尽くす作業を繰り返していくことで、このような作品が生まれました。

今回の展覧会で作品を観た方たちからも多い質問ですが、この表面を覆いつくす作品はどのようにして作られているのですか。

服部

まず、土台となる部分を手びねりで制作します。表面を覆い尽くす部分は、土のかたまりを針金のようなもので薄く削いで、手で縮め、土台に貼り付ける作業をひたすら繰り返します。

艾沢さんの作品も、Plantationに置いてあった椅子などを使用し、1万1千個以上のワックスワークのパーツで覆うインスタレーション作品です。「飛べなかった跳び箱」というタイトルの作品ですが、この空間からどんなことを感じて、今回の作品を制作されましたか。

艾沢

この空間の下見に訪れたときに、小学生の時に体育が苦手で、体育館の隅でずる休みをしていた自分を思い出しました。ここに訪れたときの外光と記憶が重なり、当時の体育館のように思え、隅っこにうずくまっている自分の姿が見えました。飛べない跳び箱が目の前にそびえ立ち、背を向けていた当時の自分と、飛べるかどうかわからないけれど向かっている今の自分が、長い年月を経てフィードバックしてきました。
2回目に会場を訪れたときに、会場に設置してある白い大きな箱のようなものが跳び箱に思え、また木の椅子が学校の椅子のようにも思え、このタイトルの作品が練り上げられていきました。
今回の作品は、イメージトレーニングもほとんどすることなく、この場で自然に身体が動き、作り上げた作品です。今回のために、いつもより少し足の長い真っ白なパーツを1000体作成しました。長い足が綺麗に揃うことによって、美しさと違和感が反比例し、跳び箱を飛べなかった自分と、もしかすると飛べた自分が重なった作品になったのかなと思います。
手前の鉄の椅子に乗っている1体のパーツは、怯えている自分かもしれないし、もうあの頃のような自分には戻らないと思っている自分かもしれません。

艾沢さんは、版画家として長く活動されながら、ワックスワークの表現も行っていますが、艾沢さんにとって、”ワックスワーク”という表現は、どのような表現なのでしょうか。

艾沢

版画は、刷り上がったものを平面の作品として壁に飾る作品と捉えられますが、私自身は銅版画を制作していると、腐食していく段階で立体的な感覚がある作品だと思い、版画をインスタレーションのような造形作品として捉えていました。コラグラフと言われる、ボンドやティッシュペーパー、糸などを使用して版を制作する技法に変わった頃から、版に使用した素材を造形の作品として制作したことがきっかけで、ワックスワークの表現が生まれました。
最初の発表は、本郷新彫刻美術館での展示ですが、実は20代の頃に彫刻家を目指した時期もあり、本郷新さんの作品で感銘を受けた「無辜の民」へのオマージュとして制作し、その時から人型のようなパーツを制作し、その後も様々な変化を経て、表現し続けている作品です。


展示している作品に囲まれながら、トークが進んでいきました。


国松さんも、艾沢さんと同様に、下見に訪れたときにこの空間に魅力を感じていただいていたように思います。今回出展された3点の作品は、この空間からどのようなことを感じて制作されましたか。

国松

自分の作品は、その空間によってコンセプトを変えるような制作はしていませんが、今回は作品の表面的な部分で、会場を意識して制作した作品になりました。下見に訪れたときに、この空間が以前にボイラー工場として使用され、小火があり、天井が黒く焼けている箇所があるとお聞きしました。
今回制作したHORIZONは、普段はアクリル絵の具や染料を使って色を塗り、紙やすりなどで剥がしていく方法で制作していますが、今回は色を付けずに、表面を焦がして制作しています。また鉄枠も、長い年月によって錆びた空間の鉄骨に合わせて、少し錆びさせています。
立体の作品“GLACIER CAVE”も、以前から構想していた作品で、この空間で初めて実現できた作品です。太い丸太で制作したときに、中が朽ち果て、穴が空いていたので、その作品を制作した時から、内側を見せることができないか考えていました。空中に吊るすことで、作品の中に入り、内側を観せることができました。

服部さんは、北海道で作品を発表することは初めてで、また他ジャンルの作品と一緒に展示をすることも初めてとお聞きしていますが、この空間で作品を観て、どのように感じられましたか。

服部

この空間も、艾沢さんや国松さんの作品も、事前に写真でしか観ることができませんでしたが、こちらに来る前から、とても楽しみにしていました。お二人の作品は、存在感を感じますが、圧迫感も感じない作品だと感じていて、実際に自分の作品と一緒に展示されたのを見て、とても良かったと思いました。

服部さんは、道外での発表は初めてですが、海外での出展も多く経験されています。艾沢さんや国松さんも海外での作品の発表の機会がありますが、国内と比べて海外での反応はいかがでしょうか。

服部

日本では、作品について言葉で表現する機会も少なく、あえて説明をしていないこともあります。言葉で伝えなくても察してもらえるのが日本だと思いますが、海外では様々なことを聞かれ、言葉で表現することの難しさを感じます。作品の言語化が当然である社会で、その違いも含めて、作品の魅力を感じてもらえているのではないかと思います。

国松

海外では、作品について具体的にこうだと伝えられることもあり、また好きだ、嫌いだと作品について語ることが当たり前のことのように思います。そういう社会で作品を発表する機会は、今後も作っていきたいと思います。

艾沢

ニューヨークでアーティスト・イン・レジデンスとして滞在しましたが、当時は言葉もできないまま出発しましたが、言葉以上に作品が話してくれたように思います。3ヶ月という短い期間でしたが、作品を制作し、現地で出逢ったアーティストと一緒に展覧会を開催するところまで創り上げることができ、自信につながりました。当時、ニューヨークに滞在していた村上隆さんから言われた「waitingではダメなんだよね~。」という言葉を励みに、やりたいという思いは伝えるべきだと思い、実行していきました。当時の経験は、札幌に帰国してからの制作にも大きく影響していると思います。

国松さんは、作家活動の他に、白老にある飛生アートコミュニティーで飛生芸術祭という大きなイベントも企画されています。作家活動とイベントの運営は、異なる視点だと思いますが、どんな思いでイベントの企画もされているのでしょうか。

国松

作家活動とイベントの企画は、確かに視点も違うのでバランスを取るのが難しいです。企画を始めたきっかけは、アトリエとして使用している廃校の利用規約のなかに、町に文化的貢献をするという項目があり、5年前にアトリエを開放したのが始まりでした。規模が大きくなるにつれ、運営方法も変化してきていて、廃校の周りの森づくりを行ったり、人が集う場所としての機能も加わってきました。回数を重ねるに連れ、新しい発見や、様々な作品も観ることができ、これからも続けていきたいと思います。

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