Artist talk
Artist Talk
"知覚されるアート"
2015年9月19日(土)
モエレ沼公園 ガラスのピラミッド2F space2
池田光弘×樫見菜々子×川上りえ×斉藤幹男×長谷川裕恭
更新日 / 2015.12.2
長谷川さんの作品は、このモエレ沼公園から着想を得て制作された作品とお聞きしています。この場所から、どのようなことを感じて制作されたのか、教えてください。
長谷川
今回の作品は、モエレ沼公園グランドオープン10周年の協賛企画でもあり、また企画者の本間さんからも色々とお話をお聞きして、この公園を設計したイサム・ノグチを強く意識して制作しました。
様々な資料を読み、この場所が元々はごみ処理場であったことから、そこから立ち上げて、作品を作りたいと考えました。
1点は、モエレ沼公園で廃棄処分となった落とし物を使って、ゴミから立ち上がるヒーローのようなものをイメージして作りました。
また、イサム・ノグチが描いたこの美しい公園を、後の世代の人たちが意志を継いでいくことが大切なことだと思い、この公園を管理する道具たちを作りたいと考えました。実際にモエレ沼公園で使われているトラックと除雪機を、この管理事務所からいただいた段ボールを使って作りました。
油彩画については、公園を管理する営みがなければ、この美しい景観が荒々しい景色になるのではないかと思い、そのイメージを描きました。
もう1点は、こちらも公園の落とし物のバットを使って、ヒーローが使う勇者の剣のようなイメージで作りました。
長谷川さんの作品は、今回の作品もそうですが、単体ではなく、いくつかの作品を組み合わせて物語性のあるインスタレーションの形態で表現されています。その形態を選ばれている理由はありますか?
長谷川
単体では伝えきれないことがあると思い、このような形態で制作しています。力不足のようなことを補っているのかもしれません。
彫刻作品の素材は、木や石、鉄など様々な素材があると思いますが、長谷川さんの作品は素材も魅力的です。長谷川さんが使用している、段ボールや紙、ビニール袋など身近な素材の魅力は何でしょうか?
長谷川
身近な素材は、手を加えれば加えるほど魅力が出ます。元々は、人に使われるものとして存在している物に、さらに自分の行為を加えることによって、より味が出ることが素材としてとても気持ちが良いと思い、使用しています。
画家 池田光弘さん
池田さんには、今回7点の作品を出品いただき、そのうち6点がヨーロッパ滞在中に描かれた作品です。新しい試みとして水彩画も描かれていますが、ヨーロッパ滞在中にどんなことを感じて描かれたのか、教えてください。
池田
ベルリンに1年間滞在していたのですが、アトリエもなく、道具もなかったので、その状況の中で描いたのが、サイズの小さい水彩画でした。今までは、暗くて、最初のインパクトが強い作品を多く描いていましたが、一瞬の力というよりは、持続的で、弱いけれど、“これは何だろう”と人が想像的に関与していくような作品を作りたいと思い、水彩画を描きました。また、今回の油彩の作品は、実験的な作品で、油彩はメディウム自体が強いので、それをどうやって描けば水彩と同じような効果で描けるのか、試してみた作品です。以前の私の作品を知っている方から見ると、誰の作品なのかと思うほど違う作品になっていると思います。今回の出品作品には、実験的な作品を選ばせていただきました。
同じヨーロッパ滞在中に描いた作品でも、作風もかなり異なる作品もありますね。
池田
常に絵を描くときは、旅をして、実際にそこで目にしたものや風景を基に絵を描いているのですが、今までは、建物や幾何学的な形態、構造が強い作品を描いていました。
柔らかい作品を描くためには、定規で引いたような線から逃げる必要がありました。今回出品した作品の中には、旅をしている間に、自分の頭にあるイメージを物の形態にこだわらずに描いたドローイングを基に、制作した作品もあります。
日本にいる間に、こういう絵を描きたいと思っていたのですが、絵を描くのには2~3カ月、長い時で6カ月ぐらいかかっていましたのでなかなか描くことができず、ヨーロッパ滞在中の長い期間に、材料があまりない状況だからこそ、チャレンジできたのかなと思います。
池田さんの作品は、これまでにも何度か札幌で発表されていますが、今回の作品は、以前目にした人たちから「同じ作家とは思えない」と言われるほど、作風が変化していますね。
池田
基本的にやろうとしていることは一緒で、自分がどこかへ出かけて風景を見て、描きたいと思わせる力がそこにあり、それをキャンバス上に描いています。「場」の再現ではなく、その「場」より強い創造的な、喚起させるような絵を描きたいと思っています。自分の絵画的な形式が大事なのではなく、その「場」で与えられた新鮮なイメージを、より強い形で出すには、どういう方法が良いのか、方法論自体が後から来るのです。そのために、自分の形式がずれていき、絵画をそういう「場」にするためには、形式自体を壊していかなければならないと思いながら、描いています。
作風は変化を遂げていますが、タイトルは一環して「untitled」です。作品にタイトルを付けない理由はありますか?
池田
最近は、作品によってはタイトルを付けても良いかなとも思えてきました。元々の理由は、出合ったことのない場に絵画がなってほしいという思いと、私が与えるストーリーを、観る人が受け取って受容するという絵画の観方よりは、観る人が初めて出合う場で、自分自身が名付ける行為をしてほしいと思い、何もヒントを与えないほうが、人は好きなように観ることができるのではないかと思い、タイトルを付けていません
映像作家 斉藤幹男さん
映像作品を含むグループ展では、他の作品とあまり接することのない場所で展示をすることが多いと思いますが、今回は、全く異なるジャンルの作品と同じ空間で展示し、また距離も近く、日の光も入る条件での展示になりました。この空間からどんなことを感じて、どのような思いで今回の作品を制作されましたか?
斉藤
映像は、テレビや映画など色々なものがあると思いますが、割と明るい部屋で観るのが好きで、真っ暗な中上映することがあまり好きではありません。他の作品と一緒に展示するのであれば、映像の光だけが強くなってしまうのが嫌で、暗いところで展示をしたくないという思いが強いです。特に手書きで映像を作ると、変な力が出てしまうので、できるだけそぎ落として、例えば、人の顔を描いて髭の部分だけを切り取ってモチーフとして使用したり、何かを描いた一部分を使って映像を作りました。
今回の作品は、コーヒーカップなどの具体的なモチーフや、これは何だろう?と、観る人によって様々なものに見えるモチーフがあります。物語性がないので、他の絵画や彫刻作品と同じように、鑑賞者が好きなところから観て、好きなところで終えられる、鑑賞者のタイミングで観ることができる作品ですね。
斉藤
彫刻や絵画作品は、自分の好きなタイミングで観ることができますが、映像は、映画などもそうですが、始まりと終わりがあります。展覧会で作品を展示するときは、その点が不利なように感じ、時間が重要な要素になるので、ストーリー性のない作品を意識して制作しました。今回の作品には、tuLaLaの下川佳代さんに楽曲を提供いただきましたが、普段の作品には音楽を付けていないのも、その理由からです。下川さんには、始まりと終わりをあまり感じさせないようにリクエストをして作っていただきました。映像と音楽は同期していません。観る人が、観たいだけ観ることができるように考えて、制作しました。
会場にいらしている下川さんにも少しお話をお聞きします。
斉藤さんから楽曲の依頼を受けた時には、作品の完成形を見ずに、イメージを聞いて作られたとお聞きしています。実際に、音楽を付けて展示している作品を観て、どのように感じていらっしゃいますか?
下川
先ほど、この会場に入って、初めて作品を拝見しました。斉藤さんの作品は、他の作品を観たことがあったので、色彩や作風から何となくイメージを膨らませることができましたが、他の作家さんの作品については、事前にいただいた資料を見て、イメージを膨らませました。布の作品はユラユラと揺れ動くイメージ、金属の硬質感や音色、絵画の世界など、鑑賞者がそれぞれの作品の世界に入れるように、自分なりに解釈して、あまり音楽になり過ぎず、環境音にもなり過ぎないところで何か面白いものを作れないかと考え、楽曲を沢山作って、斉藤さんに聞いてもらいました。
斉藤さんは、音楽を付けて作品を発表するのは、今回が初めてとお聞きしていますが、実際に下川さんの音楽と共に展示している作品を観て、どのように感じますか?
斉藤
リクエストさせていただいた希望どおり、どこからどこまで観たら終わりになるのかなと感じるほど、すごく良かったと思います。
美術家 樫見菜々子さん
樫見さんの作品の「雨を見る時間」という作品は、背景にある細長い窓から光が差し込み、一日在廊をしていると、朝から日中、夕方にかけて刻々と表情が変化していきます。この空間から、どんなことを感じてこの作品が生まれたのでしょうか?
樫見
建物の外で遊んでいた人たちがこの空間に足を踏み入れ、違う空気を作りたいと思いました。また、この場所に設置することを選んでもらい、光が重要な要素になると思い、そこを意識して制作しました。 「雨を見る時間」という作品には、雨の雫のようなビーズが付いています。光を受けて、影が出ると良いなと思い制作しましたが、アトリエで見たものとは全く異なり、昼と夜で光の表情が変わって面白いと思いました。
「雨を見る時間」は、この作品に触れずに、作品の側を通過すると風を感じて、シフォンのような布が靡きます。触れずとも、布の素材感を感じられる作品で、鑑賞者の方々も楽しんで作品と向き合っているように思えました。
樫見
この作品は、触ることができない作品にしたので、視覚的に楽しむ要素を考えました。光を受けた時の影や、少しの風で動きが出るようにと、視覚的な表現をすることができたのではないかと思います。
樫見さんの作品は、布を素材として使って制作されています。布は、触れなくても、触り心地を視覚的に感じられる面白い素材だと思いますが、布の素材の魅力は何でしょうか?
樫見
見た目で柔らかそうだとか、ごわごわしている、というような感覚が伝わりやすい素材だと思います。今回の作品もそうですが、一枚の布から立体に立ち上がってくる様が面白いと思い、使用しています。
今回の作品にもカラスがモチーフとして使われていますが、今までも何度かカラスの作品を制作されています。一般的なカラスのイメージは、ゴミステーションを荒らしたり、人間を威嚇するような獰猛な動物のイメージが強いと思います。樫見さんの柔らかい心地よさを感じる作品と、獰猛なカラスの対比が、非常に面白いなと思いますが、樫見さんにとってカラスはどんな対象物なのでしょうか?
樫見
カラスは、野生の動物の中で一番身近な動物で、人間と共存している存在です。集団でいると怖いときもありますが、獰猛になるのは人間のせいだと思います。カラスのフォルムも好きで、黒い全身に黒い目があって、可愛いと思う瞬間があります。 今回の作品は、「雨を見る時間」の作品を体感している人を見ている設定で、制作しました。
彫刻家 川上りえさん
川上さんには、2点の作品を出品いただきました。インタラクティブアートの「Activating Landscape」と、鉄のドローイングが壁から突出しているような「Linkage」という作品ですが、どのようなことを感じてこの作品が生まれたのか教えていただけますか?
川上
モエレ沼公園と、この展示空間の性質の両方をイメージして、考えました。まず、公園の広々とした開放感が発想の根底にあります。そして、金属の感触、特に柔らかい部分の意外性を視覚的にも含めて体感できたら良いなと思い、自分のやってきた過去のプロジェクトの一つでもある体感型の作品を制作しました。 体感型の作品は、作者が最初にある程度の形態を準備して、来場者が自分の感覚で自由に曲げていきます。意図して何かの形に曲げても良いし、気持ちに任せて振り回すこともできます。
私の中で、宇宙の中での物事の変化や営みは、個々の要素と連動して成り立っているという考えがあります。その一つの比喩表現として、このプロジェクトを考えています。自分の問いかけの表現と、素材を体感してもらう行為が上手く合致するような作品として、インタラクティブな作品を展開しています。
今回は場の性質上、根本は固定し、水面の上に蓮の花があるような配置にしていますが、固定する下の板剤も上の線材も鉄で出来ていて、線材は柔らかく、下の板材は重々しくがっちりと固定されている感じにし、金属の両方の側面がこの作品の中で表現できたらと思いました。
自分で予想をしていなかったのが、下の板材は中が空洞なので、音が振動するんですね。線材を一斉に触るとシャンシャンと音が鳴り、不思議な騒音で、シンバルのような、また雨音のような音が鳴り、面白いと思いました。音も含めて体感していただきたいです。時間の流れと生命の営みの中にぜひ、加わってほしいです。
もう一つの作品「Linkage」は、通路上の空間を歩いて鑑賞してもらう作品ですが、壁の両側に草が靡いているような展示にしました。インタラクティブアートの作品が、ふにゃふにゃな線があちこちに向いているのに対し、こちらの作品は、一定方向にリズミカルに線が固定されています。線の質によって、リズムや雰囲気、空間の感じ方や勢いの違いを感じられます。
モエレ沼公園は、広々とした草が多い空間で、フラットな景色のイメージです。また、自分自身が自然を意識するとき、目線の高さで草が生えているイメージがあることから、目線の付近で形の変化を感じ取っていただきたいと思い、こういう展示体形になりました。
川上さんの作品は、今回のような線材を使った軽やかな作品から、金属の重量感を感じられる作品など、幅広い作品を制作し、また精力的に発表され、次々に新しい試みを見せていただいています。長年に渡って向き合っている金属の素材の魅力について、教えてください。
川上
最初に金属に関わった時点では、自分の中ではっきりとした理由付けができなくて、それをきっちりと言葉で解説できるようにならなければと思い、今日に至ります。今の自分として言えるのは、金属は、地面や大地などのスケール感とイメージがつなぎやすい素材であると思います。
ある作家の金属の作品を観て良いなと思ったのがきっかけではありますが、金属の素材そのものが自分にとって魅力的で、自分のスケール感の強い思いを表現するための色鉛筆として、一番フィットすると直感的に思いました。
自分の作品の進展のさせ方が非常に遅く、牛のように遅いんです。いつまでも足踏みをしているところがあって、時間がかかっているので、長い時間鉄に関わっていけるのかもしれません。ただ、自分の作品制作を鉄に限定するつもりは全くないんですが、選んだからには、後には引けない、ある程度自分が納得のいくところまでは掘り下げて鉄、金属と関わっていきたいと思っています。
撮影:小牧 寿里