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"記憶の情景"

2017.9.16  ギャラリー門馬
池田光弘×国松希根太

更新日 / 2017.10.2



池田さんは、この春から京都造形芸術大学で教えられ、拠点を東京から京都へと移されました。大きく環境が変化する中、150号の大作も制作いただき、6点の作品を出品いただいています。どんな思いで制作されたのか、教えてください。

池田

今回のテーマの「記憶の情景」は、自分が基本にしていることと非常に近く感じています。会場に掲示しているテキストにも書きましたが、自分が体験したものから制作の動機を見つけ出し、それを描いています。その表現として、ただ単純に再現するのではなく、観る人にとって、これから出会う“どこか”になったり、あるいは、私の作品を観ることによって、また違う“どこか”の風景に出会い、その観た記憶の中からその場所がより想像的な場所として感じられるような作品になれば良いなと思い、いつも描いています。国松さんとは、そこの感覚が近いなと感じたので、それで、コラボレーション作品も作ってみたいと思いました。

国松さんも、コラボレーション作品を含め、6点の作品を出品いただきました。どんな思いで制作されたのか、教えていただけますか。

国松

平面と立体の作品を出品しましたが、自分が出会った風景をそのまま映すというわけではなく、その時の感覚とか妄想とかも含めて、描きながらその風景を作っています。観た人が「どこかで見た景色だな」とか、そんな観方をしてくれたら良いなと思い、いつも制作しています。

今回出品いただいたGRACIER MOUNTAINですが、石膏と木の組み合わせが新鮮に感じますが、今まで石膏を使って作品を制作されたことはありましたか。

国松

以前は、金属を使っていた時期もありましたが、ほとんど木だけで作っていました。
石膏は、石膏型を作って使用するのではなく、粘土のように直付けする方法で作りました。下の部分の木は、実は、アトリエの近くで薪割りをしていた人がいて、これから薪にしていくところだったんですが、この形が面白いなと思って素材に使わせてもらいました。この木を見た時に、この上に風景があったら面白いなと思い、アトリエにあった石膏を使って作りました。
普段は木を使っているので、どんどん減らしていく作業になるんですが、今回は付け足していく作業となり、その後に削りを入れて制作しました。

池田さんの北海道での展示の経歴を少しご紹介すると、2007年に道立近代美術館で開催された「BORN IN HOKKAIDO」に出品され、その後、札幌芸術の森美術館で開催された「ネオテニージャパン」にも出品されています。また、2年前にwithartで企画したモエレ沼公園での「知覚されるアート」展にも出品いただきましたが、その時々で、ガラっと印象の異なる作品を発表されています。
前回の展示から一つ変化を感じたのは、作品にタイトルが付けられていたことです。今までは、“untitled”という無題の作品が多かったと思いますが、今回は、”somewhere”や”portrait of place”など、タイトルが付けられている作品もあります。何か意識に変化はありましたか

池田

“untitled”と”somewhere”は、自分の感覚としては、比較的近くて、そんなに変わらないと思っています。ただ、「場」を作っているという意識だけは、そこだけは理解してもらいたいと思い、”somewhere”や”portrait of place”というタイトルを付けました。”portrait of place-turkey”、という作品は、「場の肖像・トルコ」という意味ですが、決してトルコを象徴するようなものや特徴を描いてはいなくて、どこの国にでもあるような景色を描いています。特性よりも、近くにあるものや、想像しやすいものという意味での、場所の肖像を描いています。
この作品は、国名を付けたタイトルにしていますが、最近は、国名を付けずに、“untitled”に近くになってきたかなと感じています。

午前中から沢山の方々が作品を鑑賞され、池田さんの作品を観て、”somewhere”というタイトルを確認し、「“どこか”なのね、北海道らしい景色ね。」などとお話されている方がいらっしゃいました。やはり、観る人は、自分の記憶と照らして作品を観ることが多いなと感じた瞬間でした。
今回、お二人にとっても初めての試みで、コラボレーション作品を制作いただきました。お二人とも、設営の時に初めて完成した作品をご覧になり、色々と聞きたいことがあったようですが、ぜひ、このトークでお話いただきたいと思います。
今回の制作経緯を少しご紹介すると、今年の3月にお二人が東京でお会いし、縦型の上下で構成することを考えていただき、支持体となる材は、国松さんが平面作品に使用している材をご用意いただきました。作品を制作し、互いに送り合い、相手の作品を見て続きを制作し、完成させるという流れで制作いただきました。額装については、池田さんの大学時代からのご友人でもあり、また、北海道の樽前で活動されているアーティストの藤沢レオさんの弟さんに依頼したという、ご縁のある作品となりました。
お二人それぞれにお聞きしますが、初のコラボレーションを制作してみて、いかがでしたでしょうか。

池田

私のほうからお話をしたんですが、勢いで言ってしまい(笑)、はたして、これはできるのだろうかという不安もありながら、制作しました。国松さんにパネルを制作いただき、送ってもらったパネルを見て、随分大きなサイズを依頼してしまったなと思いましたが、国松さんはどうでしたか。

国松

サイズが大きいとは思わなかったんですが、半分のパネルをいざ見ると、最初は「セッションをする感じだよね」なんて、かっこつけたことを言ったんですけど、そういうんじゃないなと・・
片方を完成させて送るので、後に制作する人がある意味完成させることに気付き、後から制作するほうに責任があるなと感じました。

池田

先に描いたほうがプレッシャーは少ないですよね。なぜ、上下二つに分けたかというと、お互いに、水平線のようなことを意識して描いているので、空と地面のような関係で描けるかなという発想でスタートさせました。意外とこの比率が、気持ちの悪い比率で(笑)、水平線になるような位置、消失点をお互いに少し上に上げたなと思いました。

国松

池田さんが先に制作した作品を観たとき、池田さんの優しさなのか、作品の上部に少し余白を残しておいてくれました。僕もこういうことをしたほうが良かったなと思いました。

池田

僕のほうの印象としては、国松さんが普段から描かれているような、木目を生かしたアイボリーホワイトに近い感じの作品が送られてきたのを見た時、僕は基本的に暗い作品を描いているので、暗い絵を描いている僕に、この白い作品を送ってくるというのは、何を求めているのかなと思いました(笑)。それで、自分が今まで描いたことのないような景色にチャレンジしてみました。
私が先に描いた作品は、木がある山の風景を描いたんですが、出来上がりをみたら海の風景になっていて、真逆になっていたので、驚きがありました。なぜ、海の風景につなげようと考えたんですか?

国松

もちろん、池田さんが木を描いたことは分かっていたんですが、そこに違う景色をスパーンと持っていきたいなと思いました。海にも見えるし、雲にも見えるような景色をつなげたほうが、面白いかなと思って描きました。

池田

面白かったし、衝撃でしたね。

国松

僕が先に描いた作品は、白っぽい作品ですが、ちょっと滲ませたり、ふんわりした感じで描きました。上にくる池田さんの作品が、もう少しガチっとくるかなと予想していたんですが、やわらかい絵を描かれていて、とても良いなと思いました。

池田さんの作品ですが、先ほど、ご本人からも暗い作品とお話されていましたが、今回の作品を観たときに、とても光を感じました。黒っぽい色も決してまっ黒ではなく、暗い色彩の中にも光が指しているように感じます。

池田

単純に暗さを求めているわけではなくて、木など具体的に描くものがあって、その背景を暗く落としたり、抽象的なものを持ってきたりしています。北海道へ帰ってきて、夜に雪景色を見ると、木だけが見えるけど、あとは具体的なものがないというか、雪で覆われていて、そこに対して想像の余地がある気がしています。その想像の余地に光があるのではないかと思っていて、パシッとあたる光ではなく、ちょっとずつ輝いているポイントがあって、そのポイントを繋ぐことによってその空間が把握できると思います。想像を導いてあげるために、自分としては光を使っているのだと思います。
黒は、バシッと止めるような気がしていて、紺色や濃紺、紫を重ねて作る黒は、色味があって何重にも重なって黒く見えているほうが、自分としては暗さの中に空間を感じます。

先ほどの雪景色のお話にもありましたが、20代前半まで過ごされてきた北海道は、意識して描かれていますか。

池田

意識して描くことはないんですが、北海道に住んでいると北海道らしい景色は分からなくて、でも、東京から友人が来て案内しながら見ると、見えてくるものがあり、それがきっかけで作品になることもありました。北海道で生まれ育った時に見てきた雪景色のような感覚が常に残っていて、その感覚が続いているのかなと思います。

先日、池田さんをお連れして、国松さんが制作の拠点にしている飛生に出かけてきました。国松さんに、明日まで開催している飛生芸術祭を案内していただきましたが、いかがでしたか。

池田

国松さんが北海道に根付き、飛生の森の中で10年間生活しながら制作されてきた環境を見て、その環境の中で生まれるモチーフや思いを育み続けることは、自分にはできなかったことだなと思いました。すごく新鮮で、自分も地元はあるけれども、どこにも根付いていない感じがしました。国松さんの生き方が羨ましくも思え、だからこそ、色々な方とのつながりが生まれ、大きな仕事ができているんだろうなと思います。

国松さんが道外や海外など外へも意識も向けながら、地元の方たちとの交流も大切にされている地に足をつけた姿勢を素晴らしいと思っています。だからこそ、飛生芸術祭も年々認知され、大きく、質も高い芸術祭へと発展しているのだと思います。国松さんにとって飛生という場所は、どのような場なのでしょうか。

国松

東京の大学卒業後、少しリセットするために北海道へ戻ってきました。その時に、飛生で家具作りをしている方が廃校になった場所をアトリエとして使っていて、思い切って引っ越して、制作の場にしました。特に田舎が好きだとかいう思いもなく、2年間ぐらいのつもりで頑張って制作しようと思い、当時は、外の景色に目を向けるような気持ちもあまりありませんでした。
週末に友人が遊びに来るようになって、来た人たちがその場所に感激して、ワクワクした気持ちになっているのを見て、この場所に力があるのかなと思うようになりました。そこから、年に1回ぐらい、アトリエで作ったものを発表することを始めました。住んでいくうちに、その小学校の歴史や、土地や住む人についても知るようになり、ここに居ながら何か発信することができるんじゃないかと思うようになり、飛生芸術祭が9年目になります。
この地にしっかり根付いてやるぞと、自分を決めつけたいわけでもなく、だんだんとそうなってきたという経緯があります。
自分が何かをしたいというよりは、例えば、地域の人たちと森づくりをしているんですが、アートと全く関係のない人たちと一緒にやっています。「こんなことをしたい」など提案が出てきていて、自分がコントロールするわけではなく、自然の変化とつき合いながら作っていく過程が面白いと思い、活動している場です。

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